「山本五十六が散った」ラバウル島—パプアニューギニア—

展覧会情報

「山本五十六が散った」ラバウル島—パプアニューギニア—
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開催期間

2020年4月16日 〜 2020年10月14日 まで

概要

 桑原史成写真美術館の今回の展示は『「山本五十六が散った」ラバウル島-パプアニューギニア-」を展示します。
 南の島、パプアニューギニアが独立したのは、今から45年前の1975年9月16日である。僕が、この独立国を撮影で初めて訪れたのはその翌年の1976年8月であった。パプアニューギニアを撮影するきっかけは、全日空の機内誌『翼の大国』に関わっていて、パプアニューギニアの国営の航空会社(Air Niugini)が鹿児島空港に乗り入れの航空路を開設する事になり、”未知の国”の取材に挑んだのがきっかけである。2年後の1978年にも訪問している。
 パプアニューギニアについて記述する前に、この国と日本との関わりを述べなければならない。日本がハワイの真珠湾を奇襲攻撃(1941年)の後、南太平洋に軍事拠点を布陣する戦略を推し進めた。現パプアニューギニアの北東、約300kmのラバウル島に前線基地を布陣している。初戦は、ガダルカナル島への上陸作戦、ブーゲンビルの戦いなど戦果を挙げるが、1943年以降は劣勢に立たされる。その1943年4月18日「真珠湾攻撃」で知られる高名な連合艦隊司令長官山本五十六大将(没後に元帥)が、ラバウル島の航空基地から前線の視察に向かう途中、搭乗していた軍用機が追撃され、日本海軍の誉れ高い英雄が散った。米国は、日本側の通信を傍受していたのである。
 パプアニューギニアの人口は、約7,000万人で、国土は日本の約2倍。太平洋戦争時の歴史から英国が宗主国でエリザベス2世がが象徴的な女王である。従って公用語は、英語と現地語ということになる。産業は、コーヒー、パーム油のほかに金、銀、銅など鉱物資源に恵まれ、また液化天然ガス(LNG)の生産も凄まじく年間約700万トンの50%を東京電力と大阪ガスが輸入している。このパプアニューギニアは1526年にオランダが進出し、さらにイギリス、ドイツが植民地化していた。戦後はオーストラリアの委任統治領になっていた。
 鹿児島空港を離陸した航空機は、ほぼ真南に向かって飛行するとパプアニューギニアの首都・ポートモレスビー空港に到着する。さらに、進路を南にとればオーストラリアに行き着き、日本との時差は無い。パプアニューギニアの日常の生活をスナップした記録写真ですが、日本から約6,000km離れた”南の別天地”のパプアニューギニアの語源について、かつてスペイン人が、この国のメラニシア人の「縮れ毛」の容姿がアフリカのギニア人に似ている事からNew-Guinea(新しいギニア)と言ったとされる。
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